宮川の上の渡し場より 三里さかのぼれば川口といって人家もあり この所 西は大杉谷 野尻 御瀬川より流れ来たり 東は駒ケ野川 一之瀬よりの落合なり 是より駒ケ野へ三里 鸚鵡石まですべて八里といえども山路難所にして春の一日も暮れに及べり 但し舟にて往来すればその労なし また 下りには急流なれば最も早く絶景いわんかたなし 別して駒ケ野より上は巌聳ち(そばだち)なかんずく中村の南 能見坂という所は 無双の勝景にして松島劣らじという その南に慥柄(たしがら)阿蘇などという村邑数多ありて常に往来繁く 山田の市中へ魚荷の出ること昼夜絶えず 山中ながら魚鼈(ぎょべつ)に乏しからずなり 又旧蹟あれどもこれを略す
石は山の半腹に偃然たり その高さ十余丈ばかりにて青黒なり その右手百間もあるべき所氈などしき その岩の上にいて物言い或いは弦歌鼓吹の音にも石中にものありて答うるごとし この奇石 千年伝播やや広くなりて桑原官長義卿の噂によりて詩記等を院の叡覧に入る時 霊元帝画師山本宗仙に仰せて屏風に描かせしめ その記を書付たりと云々 東涯随筆
〇漢名 是を響石といいて彼の国にももてあそぶ事とぞ
近頃 磯部村に同石あれとも是にはおとれり
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川口は宮川と、支流の一之瀬川が合流するところです。宮川は上流の大杉谷より三瀬川など幾つかの集落を経て流れてきます。(野尻という地名は不明です) 川口から一之瀬川をさかのぼっていくと、駒ケ野を経て、一之瀬、南中村に至ります。
今なら、桜の渡し跡から南中村まで車でおよそ30分、そこから1キロ足らずの山道で鸚鵡岩です。当時は、八里、春なら日も暮れてしまう距離だったようです。
当時、駒ケ野から宮川河口の大湊まで、鵜飼船と呼ばれる船が物資や人を運んでいました。伊勢参宮名所図会では、駒ケ野まで、この船で行くことを勧めています。特に川下りは急流で早いし、景色もすばらしいと言っています。船は、郷土史草50号の写真によると長さ8間、15mほど、救命衣もない時代で、何て恐ろしいことかと思います。駒ケ野から上流は岩が多く船では行けないため、南中村までは歩かねばなりません。
鸚鵡石とは別に、南中村から南へは能見坂とよばれる険しい山路になります。屏風のようにつらなった山をこえると、沖は熊野灘に続く美しい海が見えたはずです。リアス式海岸で、複雑に入り組んだ半島や島々が、松島にも劣らないという絶景を作り出していたのでしょう
能見坂峠を越えると、志摩の海岸です。海で獲れた魚は、昼夜を問わず、徒歩で能見坂を超え、駒ケ野から船で伊勢の山田へ運ばれていたそうです。
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慥柄、阿曽という村々は、現在は南伊勢町に含まれます。新野見坂トンネルが開通して車で容易に行けるようになり、峠からの絶景を見るということは、なくなってしまったようです。しかし今も、この海辺の地域は本当に風光明媚で美しいところです。釣り人以外は訪れる人も少なく、手つかずの自然が残されています。
慥柄 中の磯展望台から道方、道行竃方面 |
道行竃 |
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鸚鵡石は巨大な岩で、高さ30メートル幅60メートルほどだそうです。地面に垂直に立ち、真下に行って触ることができます。かたり場といわれる岩があって、(百間も離れていないと思います。多分、数十mくらいです)その岩の上で何かを言うと、それが反響して聞こえてくる、というものです。江戸時代の儒学者伊藤東涯がここを訪れて詩を詠んでいますが、それが霊元上皇の知られる所となり、画師に屏風絵を書かせて、東涯が文を添えたということです。多くの文人がここを訪れているそうです。
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磯部の山にも鸚鵡石があります。こちらは、岩のふもと近くの語り場で話すと、反響し
て、離れている聞き場にいる人に聞こえるというものです。山の頂上から鸚鵡岩の上に上がれます。ここからの景色は、初夏ということもあって本当にきれいでした。
もちろん優劣はなくて、どちらも素晴らしいです。
磯部 鸚鵡石 |
鸚鵡石からの展望 |
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