2016年11月5日土曜日

船津行者山と「光の石」生活環境保全林遊歩道

船津行者山 309メートル

先日、友人と行くのに、半日で行けるハイキングコースを探していました。伊勢志摩国立公園の web site で「鳥羽のお出かけマップ」 というのがあって、あまり知らなかった鳥羽のハイキングコースが たくさん載っていました。



船津行者山というのは朝熊山の東に連なる山です。名前だけは知っていたので、行ってみることに。ところが、車を置く場所がわからないし、地図もきちんとしたものではないので、迷わず行けるかどうか心配でした。光の石遊歩道というのも、ネットで調べても情報がほとんどありません。それで下見ということで夫と行って来ました。


スタートは近鉄池の浦駅付近です。駅裏の道の路肩に少しスペースがあり、そこに車をおきました。そのまま駅裏の道をどんどん進みます。すると田んぼに沿う道にぶつかるので、右にまがります。田んぼは休耕地でススキ野原に変わっていました。





お地蔵様が2か所にあります。二つ目のお地蔵様のところが朝熊岳の登山口になっていました。「鳥羽岳道」と書いてありました。鳥羽岳道は初めてなので、少しそそられましたが、通り過ぎます。道はだんだん山の中に入っていきます。
川沿いに進んでいくと道が二手に分かれています。山側の火の用心の赤い標識のある道を登っていきます。このまま行くと光の石遊歩道の案内板があるはずなのですが、それらしきものもなく、不安に思いながら更に進んでいくと、小さな坂を越えた向こうに茶色の案内板を発見しました。






明るいハイキングコースを想像していたのに、うっそうとした山の中で、めったに人が来ないようで道も、木の枝やがれき、ときには倒木もあって荒れていました。案内板をみると、道は幾つにも別れしていますが、どれを通っても同じところに行けるようです。小川を渡るときはしっかりとした橋があり、急な坂は階段になっていて、10年前はきっと素敵なハイキングコースだったのでしょう。でもあと10年もしたらこの道は藪に埋もれてしまいそうです。

でも綺麗

けっこう素敵


展望のよい所も


案内板を携帯の写真にとって、それを見ながら進んでいくと、鳥羽スカイラインにに出ました。わあと思うと反対側に遊歩道の続きが見えます。 車を置くスペースも少しあって、スカイラインを下りてきた人もちょっと休憩したり、ハイキングが楽しめるということです。道をわたって階段を登っていくと東屋にでます。web では ここは展望がよいと書いてありましたが、木が大きくなったようで、ほとんど何も見えません。でも休憩には良い所なので、ここでランチにしました。


それから道はほとんど平坦で再び鳥羽スカイラインにでます。光の石遊歩道はここが終点です。スカイラインの路肩が広場のようになっていて、解放感があります。ここにも同じ案内板が立っていました。スカイラインを走る車を見るとちょっと優越感を感じます。有料道路にただで入っている嬉しさか。。。



さて 行者山への 登山口は、スカイラインに沿って歩いて、2,30メートルというところでしょうか。同じ側です。イセのアオキさんのプレートがありましたので、すぐにわかりました。



少し登るとしっかりとした尾根道にぶつかります。ここを左(東)にまがります。途中でかなり傾斜がきつくてロープの張ってある場所がありましたが、そこをこえるとすぐに頂上で、三角点があります。

明るい尾根道を行きます

頂上プレートあり


役行者の祠



役行者の祠は少し先にあります。意外に大きく人が入ることができます。奥に役行者の像もあります。(こんなに痩せている行者様は初めてです。)


その祠の傍に元広場と思しき木の低い場所がありました。背伸びをすると何とか、鳥羽の青い海、緑の島、白い船が見えるのですが、やはり木が伸びてしまったようです。


更に行くと 鉄塔があり、船津の方へ降りて行けるのですが、今回は、ここまでで戻りました。


帰りは光の石遊歩道の横道に入って、芝生広場というところに行ってみました。でも半分は芝生、半分はイノシシが完璧に耕した跡でした。藪にのまれつつあり、展望もありません。

行きは不安に思いながら行ったのですが、帰りはあっという間に戻ってきました。麓の田んぼ道で一人会いましたが、それ以外は歩いている人は誰もいませんでした。でも鳥羽スカイラインに絡んでハイキングコースがあったなんて知りませんでした。整備をしてくれたら、結構いいコースで楽しいんじゃないかと思いました。

家に帰って地図を見たら、だいたい載っていました。最後のスカイラインから行者山頂上までは、地図にないので適当に書いてみました。


2016年11月1日火曜日

其の16 大湊めぐり

大湊めぐり



大湊は宮川と五十鈴川の合流する河口にある三角州の町です。古くから水路を利用した伊勢へ物流の拠点として、また宮川上流からの木材の入手が容易であったため造船の町として栄えていました。

 1338 北畠親房らが義良親王を奉じて、大湊から船団を整えて関東へ出帆
 1592 秀吉の朝鮮出兵のため九鬼氏が大湊で日本丸を建造

  など、歴史的にも有名であるといえると思います。

江戸時代には廻船問屋が自治を司り、造船に関連して家釘、船釘、錠などの鉄工業も盛んになりました。明治になるとたくさんの造船工を必要としたため、大湊町立造船徒弟学校(現在の県立伊勢工業高校)が設立されました。造船業は高度成長時代までは繁栄を続けましたが、その後倒産廃業が相次ぎ、以前ほどの繁栄はみられなくなってしまいました。


伊勢山田散策 ふるさと再発見 の本には 大湊の日保見山八幡宮という神社について書かれています。この神社の境内の前には弥栄の松(いやさかのまつ)と呼ばれる大きな松があります。案内板によると、樹齢400年、廻船問屋角谷七郎次郎秀持の庭にあったものが移植されたそうです。


ちなみに大湊の廻船問屋角谷七郎次郎秀持と言う人は、本能寺の変の際に堺を遊覧中だった徳川家康を助け、伊勢国から三河国へ逃れるための船を調達したそうです。以後徳川家の御用商人となり、子孫代々まで廻船自由の特権を与えられたそうです。



また神社の入り口には立派な木製の常夜燈が2基建っています。元は江戸時代の釘問屋の発起により全国の取引先から寄付を募り建立したものだそうです。懸魚や火袋の欄間には透かし彫りが施され豪華なつくりであったそうですが、風雨にさらされて傷み、平成24年に新しいものに置き換えられています。古い常夜燈は境内の倉庫に保管され、ガラス越しに見ることができますが、今回は夕方訪れたため、暗くてはっきりと見ることができませんでした。
境内には多くの石塔が建ち、伊勢で最古の記銘(寛永12年、1635年)のある石灯籠もあります。
これらは、それぞれ寄進されたものであり、かつての大湊の栄華を物語るものだそうです。


さて、まず車を日保見山神社のすぐ近くの防波堤の上に止めると、まず目にはいるのが 義良親王乗船地という石碑です。防波堤の上に建ち、後ろの松林の間から海が見えます。



近くの階段を下りると、鷲ヶ浜という広い海岸に出ます。背の低い硬い葉をもつ海浜植物に覆われた広い原野の先に波の打ち寄せる砂浜が見えます。鷲ヶ浜は約1キロにわたって東西に広がり、防波堤に沿って歩道が整備されています。海のむこうに鳥羽の島々や知多半島、渥美半島を望むことができます。



東にむいて進むと海に突き出た長い長い波除堤が見えてきます。ここで歩道は終わり、南平造船所とかいた巨大な建物があります。残念なことに建造中の船はありませんでした。



この辺りに阿場池跡というのがあるそうで(ネットで調べた情報 神宮の貯木池跡のこと)、しばらく適当に歩いて探し回りましたが見つかりませんでした。近くを通りかかった方に尋ねるとこの辺一帯がアバという所で、かつて神宮の貯木池があったということです。大湊小学校の敷地内に神社があり、その人の話によると、神様の土地を人が使うようになって不幸が続いたため、そこに神社を建てたというのです。行ってみると、大綿津見神社という小さな社と神宮貯木池跡という石碑がありました。阿場池跡というのは、この石碑のことでしょう。阿場は網場の間違いのようで、もともと材木を貯める池を網場というそうです。


「三重県案内」というgoogle書籍によると、大湊の東地区に網場とよばれる池があって、古くから神宮御用材の貯木場として使われていたそうです。木曽御料林より伐採した材木を桑名より廻漕し、一時ここに係留し、内宮御用材は五十鈴川、外宮は宮川に分け、遷宮の際に、それぞれ領地民のお木曳によって運ばれたそうです。網場池がいつまであったかはよくわかりませんが、今は埋められて大湊小学校と住宅地になり、石碑が残されているようです。

ここから日保見山神社までは200メートル程です。日保見山神社に戻って参拝して、帰ることにしました。今は夕方のうえに曇り空で写真がきれいに撮れませんでした。後日また 撮りに来るつもりです。