2013年2月21日木曜日

京路山と八禰宜山

京路山    414.8 m
八禰宜山  420 m

伊勢神宮から高麗広を通り,剣峠を越えて五ヶ所浦にいく自動車道があります.サニーロードができて,この道を通る車はほとんどいなくなったようです.11日にmyラクティスで通りましたが,出会ったのはクロネコヤマトのトラックと,剣峠の見物をしていたプリウスのたった2台でした.特に内宮から剣峠に向う道は細くてカーブのきつい大変な山道です.昔はバスが通っていたというのが信じられません.剣峠には小さな駐車場があって,モニュメントが建っています.五ヶ所方面を展望することもできます.


myラクティス


剣峠からの展望




この剣峠から五ヶ所方面に向って,左に京路山,右に八禰宜山の登山道が伸びています.剣峠で標高330mありますので,京路山は1時間たらず,八禰宜山は20分程で頂上に着くことができます.いずれの山も自動車道から尾根に上がるまでは,登りがきついのですが,尾根道になると快適に歩く事ができます.考えてみれば,峠道が二つに分けた山ですが,もとは尾根続きの山です.いずれも椿の大木の森で,よく似た雰囲気です.始めに京路山の山頂をめざして,歩きました.神宮林の境界石が尾根に点在しています.いくつかの岩場のピークを越えて行くところは,鷲嶺を思い出します.真冬なのに,常緑樹の葉は緑が濃く,強い風が吹いていたのですが,風音ばかりで,冷たい風にあたることはありませんでした。木々の葉が風を防いでいるようです.京路山の頂上は小さな広場になっていて,すばらしい展望でした.志摩のスペイン村から英虞湾,五ヶ所浦まで,180度以上を見渡すことができます....と,ここで,猟犬の吠える声が山の中腹あたりから聞こえたかと思うと銃声が2発響きました.神宮林との境界であっても狩猟をしているようです.狩猟期間は3月15日までです.一生懸命生きている動物を殺すのは可哀相な感じがします.害獣の駆除とか,生息数の調節の必要性とか,もちろん理解できますが,狩猟を趣味や楽しみとしている方もいらっしゃるでしょう.私だって牛や豚や魚を食べて生きているけれど,止めてほしいと思わずにいられません.

八禰宜山は短い分だけ,傾斜はきつかったかも知れません.頂上の展望はやはり,すばらしいものです.こちらは主に五ヶ所浦方面を見渡すことができます.頂上の少し下にベンチがあって,ここにすわると,ベンチがほんのりと暖かく感じられました.お日様にあたためられたのでしょう.やれやれと,いつまでも座っていたいような感じがしました.でも耳をすましても,鳥の声は聞こえませんでした.森が凍っている.猟のせいなのかなあ.


京路山口 南勢テクテク会のプレートがあって安心です.

椿の森
京路山 広場もあります ちょっとこわい



八禰宜山


帰りは,あの狭い峠道を戻るのは気が進まず,五ヶ所まで降りていって(こちら側は普通のよい道路です),サニーロードで伊勢に戻りました.蛇足ですが,五ヶ所側のサニーロードの起点にはサークルKがあって便利です.



2013年2月16日土曜日

長谷の城山 291m 2月10日

近長谷寺の十一面観音立像 と 普賢寺の普賢菩薩坐像

伊勢市とその西方の山,という本を見ながら,幾つかの伊勢の山をめぐっていると,だんだん全ての山を制覇したいという気持ちになってきました.連休の初日,大変な風邪で体調がやっと戻りかけてきたところでしたが,あまりの好天気についつい近場と思い出かけてしまいました.たまたま偶然にも両仏像の解説を聞くという機会に恵まれて,思わぬ仏像鑑賞の小旅行となりました.

長谷の集落までは,夫の運転で行きました.どの道をどう通ったのかは,恥ずかしながら記憶にありません.途中おきん茶屋の角を曲がったということは知っています.
長谷の集落に着くと観音の里と書いた大きな看板があります.この向かいが公民館になっていて,駐車場に車を置く事ができます.もう少し先までいくと,お寺の駐車場があるようですが,昔からの参道を登るなら,ここに車を置いたほうがよいと思われます.看板の裏の道を登っていくとすぐに,参道を示す石碑が建っていて,ここから右に曲がって登っていきます.コンクリートで舗装してある道ですが,なかなかの急な坂道です.寺まで,0.8キロ,途中に庚申塚や山の神,地蔵塚などの案内板があり,あと00mと書いてあるのを見て励まされながら,やっと境内に到着します.

このお寺は丹生山近長谷寺といい,885年に建立されたということです.本尊の十一面観音像は,6.6mという大きな仏像で,奈良の長谷寺,鎌倉の長谷寺とともに日本三観音のひとつとして有名なそうです.日本三観音とは三体の仏像を一本の樟から造ったものと伝えられているそうです.ちなみに奈良や鎌倉は「はせでら」と読みますがここは「ちょうこくじ」と読みます.近とは,伊勢神宮の近くという意味で,後の時代に改称されたそうです.また,本堂は洪水のため喪失され,元禄時代の再建で,創建当時のものはご本尊のみということです.
境内には本堂と庫裏が建っています.2月18日は例大祭で終日開帳されるそうですが,通常は拝観料200円かかります.しかも係りのおばさん2人は,地元の方で日曜日しかいらっしゃらないそうですから,平日に行っても,拝観することはできないようです!!私たちが拝観をお願いすると,パンフレットをわたしてくれて,堂内にはいる木戸をあけてくれました.ちょうど来週がその例大祭で,その準備のために,若い和尚さんがいらして仏具を磨いていました.私たちがはいると,手をとめてお寺の歴史や仏像などの説明をして下さいました.18日には,12時と3時に餅撒きがあるとか,護摩を焚いて行者の方がみえるとか.そして,なんとなんと,ご本尊を安置してある部屋の裏の扉を開けて,厨子の中,まさに観音様の足元に入れていただき,大きな観音様を下から見上げて拝ませて戴きました.


観音様は平安時代のもので,長い年月のため,黒ずんだ色をしていますが,近くで見ると木目が見られます.目は半開きで白くくっきりと塗られていて,また装飾品や錫杖,蓮華や水瓶などは,にぶく金色に輝き,観音様の大きさもあるのですが,全体に男性的で力強い印象がします.多分心にやましい事があると,この観音様の前では 空恐ろしくなるのではないでしょうか.

近長谷寺のある山は 長谷の城山と呼ばれ,南北朝時代には城があったそうです.頂上へは 寺の裏手から約10分ほど登ると着きます.道は整備されているのですが,頂上の広場は荒れ放題で,ベンチやテーブル,吸殻入れまであるのに,伸びた草や枯れススキに埋もれている状態でした.お寺の和尚さんもここ10年位は頂上へは行っていないと,おっしゃっていました.


和尚さんが教えてくださったので,車で数分のところにある普賢寺まで行ってみる事にしました.ご本尊の普賢菩薩坐像は旧国宝で現在は国指定重要文化財になっています.前もって連絡しておかなければ通常は拝観はできないようなのですが,たまたま別のお客様がいて,先代のご住職の奥様と思しき方が,快く招き入れてくださいました.本当にありがとうございました.また,このお寺にもいわゆる長谷型といわれる十一面観音像もあります.
ご本尊の普賢菩薩坐像は平安初期の特徴を備えると言う事ですが,年代等は不詳のようです.平安時代からこの地区でも多くの密教系の寺院があったそうですが,織田信長の焼き討ちにあってほとんどが焼失,この仏像のみが,民家にあって難を逃れ残ったということでした.この普賢菩薩坐像の特徴は姿の美しさにあると思います.装飾性に富んだ髪型と流れるような垂髪,ふくよかなで穏やかな表情,肉付きのよい肩とひきしまった胴体,リアリティのある存在感.印象はまさに優しい慈愛に満ちたという表現がふさわしい御仏像でした.近長谷寺の十一面観音像とは随分異なるように思います.やはり,普賢菩薩像の方が,後の時代につくられたものなのでしょうか.

 

帰りは更に足を伸ばして,てんけい公園に寄ってみました.新しい公園なのだと思います.広い池と芝の広場があり,凧揚げの家族やウォーキングを楽しむご夫婦など,なかなか良い公園でした.多気町もまだまだ,いろいろ行ってみたい所があります.少しずつまわりたいと思います.

2013年2月13日水曜日

国束山 413.8m  1月27日

国束山へは,アスピア玉城の横の道を,伊勢自動車道の方向へどんどん行きます.高架をくぐって池の横を通り過ぎて,道はしだいに細くなり,うっそうとした林の中を通りぬけ,まもなく国束山の登り口の駐車場に着きます.弘法温泉の名の由来となった弘法石が祀ってあります.木の覆いかぶさる薄暗い駐車場はあまりよい雰囲気ではありません.国束山の頂上付近には,国束寺という寺の跡が残っているそうです.国束寺の開祖は聖徳太子と伝えられ,平安時代から室町時代まで,密教の修行の寺として栄えたそうですが,織田信長の伊勢攻めの際に焼かれ,後に,江戸時代に一度再興されますが,次第に衰退し,昭和28年に麓の平生の地に移転されたそうです.かつてこの道は参道だったのでしょう.登り口は広い舗装された道路でまっすぐに登っていきます.

伊勢はすごいなあと思います.歴史的な人物の関わった話があちこちにたくさんあるのですから.

登り始めてすぐ,左に分岐する山道があります.こちらが,旧道コースにあたるようです.まっすぐ行くと,鳴子山に寄ってから行く百瀬川コースです.今日は,初めてなので,幾分近いと思われる旧道コースをとりました.山道は始めは急でしたが,「これより10町」とかかれたお地蔵様のある角まで来ると,なだらかになってきました.さらに岩屋窟に通じると思われる分岐を過ぎると,空気が冷たく感じられてきました.昼なのに霜柱の氷が道のあちこちに溶けずに残っていて,踏むとぱりぱりとした感触が伝わってきます.従是西南禁殺生とかかれた石が埋もれかかってあります.道は次第にまっすぐに広くなって,何かの礎石のようなものが,両側に並び,程なく昔の境内と思われる広場に到着しました.約40分の行程です.境内は木が切られて明るい雰囲気でした.古い石灯篭や小さな祠があり,今も新しい絵馬をかけられるようになっていました.建物の跡ははっきりとわかりますが,瓦礫が散乱してそこに雑草が茂っているという感じです.建物は朽ちてしまった訳ではなく,大阪の四天王寺や麓の新しい境内に移築されたそうです.頂上へは,この大きな建物の跡を踏み越えて奥へと登っていきます.八幡社,白山社,夜奈塚などの碑が立っています.頂上まで約5分程でした.展望はほとんどありません.


境内に続く古い参道
旧境内

旧境内


国束山は不思議な所です.旧境内に,廃寺の寂しさはなくて,明るい休憩所のようです.
例えば,梅香寺には 古いくずれかけた墓碑なども残っていたのですが,ここには,そのようなものは見当たりません.きちんと移転されたのでしょう.そしてここに建っていた建物も新しい境内に移築されているそうなのです.ここには何も残されていない,そんな印象の所でした.