2016年11月5日土曜日

船津行者山と「光の石」生活環境保全林遊歩道

船津行者山 309メートル

先日、友人と行くのに、半日で行けるハイキングコースを探していました。伊勢志摩国立公園の web site で「鳥羽のお出かけマップ」 というのがあって、あまり知らなかった鳥羽のハイキングコースが たくさん載っていました。



船津行者山というのは朝熊山の東に連なる山です。名前だけは知っていたので、行ってみることに。ところが、車を置く場所がわからないし、地図もきちんとしたものではないので、迷わず行けるかどうか心配でした。光の石遊歩道というのも、ネットで調べても情報がほとんどありません。それで下見ということで夫と行って来ました。


スタートは近鉄池の浦駅付近です。駅裏の道の路肩に少しスペースがあり、そこに車をおきました。そのまま駅裏の道をどんどん進みます。すると田んぼに沿う道にぶつかるので、右にまがります。田んぼは休耕地でススキ野原に変わっていました。





お地蔵様が2か所にあります。二つ目のお地蔵様のところが朝熊岳の登山口になっていました。「鳥羽岳道」と書いてありました。鳥羽岳道は初めてなので、少しそそられましたが、通り過ぎます。道はだんだん山の中に入っていきます。
川沿いに進んでいくと道が二手に分かれています。山側の火の用心の赤い標識のある道を登っていきます。このまま行くと光の石遊歩道の案内板があるはずなのですが、それらしきものもなく、不安に思いながら更に進んでいくと、小さな坂を越えた向こうに茶色の案内板を発見しました。






明るいハイキングコースを想像していたのに、うっそうとした山の中で、めったに人が来ないようで道も、木の枝やがれき、ときには倒木もあって荒れていました。案内板をみると、道は幾つにも別れしていますが、どれを通っても同じところに行けるようです。小川を渡るときはしっかりとした橋があり、急な坂は階段になっていて、10年前はきっと素敵なハイキングコースだったのでしょう。でもあと10年もしたらこの道は藪に埋もれてしまいそうです。

でも綺麗

けっこう素敵


展望のよい所も


案内板を携帯の写真にとって、それを見ながら進んでいくと、鳥羽スカイラインにに出ました。わあと思うと反対側に遊歩道の続きが見えます。 車を置くスペースも少しあって、スカイラインを下りてきた人もちょっと休憩したり、ハイキングが楽しめるということです。道をわたって階段を登っていくと東屋にでます。web では ここは展望がよいと書いてありましたが、木が大きくなったようで、ほとんど何も見えません。でも休憩には良い所なので、ここでランチにしました。


それから道はほとんど平坦で再び鳥羽スカイラインにでます。光の石遊歩道はここが終点です。スカイラインの路肩が広場のようになっていて、解放感があります。ここにも同じ案内板が立っていました。スカイラインを走る車を見るとちょっと優越感を感じます。有料道路にただで入っている嬉しさか。。。



さて 行者山への 登山口は、スカイラインに沿って歩いて、2,30メートルというところでしょうか。同じ側です。イセのアオキさんのプレートがありましたので、すぐにわかりました。



少し登るとしっかりとした尾根道にぶつかります。ここを左(東)にまがります。途中でかなり傾斜がきつくてロープの張ってある場所がありましたが、そこをこえるとすぐに頂上で、三角点があります。

明るい尾根道を行きます

頂上プレートあり


役行者の祠



役行者の祠は少し先にあります。意外に大きく人が入ることができます。奥に役行者の像もあります。(こんなに痩せている行者様は初めてです。)


その祠の傍に元広場と思しき木の低い場所がありました。背伸びをすると何とか、鳥羽の青い海、緑の島、白い船が見えるのですが、やはり木が伸びてしまったようです。


更に行くと 鉄塔があり、船津の方へ降りて行けるのですが、今回は、ここまでで戻りました。


帰りは光の石遊歩道の横道に入って、芝生広場というところに行ってみました。でも半分は芝生、半分はイノシシが完璧に耕した跡でした。藪にのまれつつあり、展望もありません。

行きは不安に思いながら行ったのですが、帰りはあっという間に戻ってきました。麓の田んぼ道で一人会いましたが、それ以外は歩いている人は誰もいませんでした。でも鳥羽スカイラインに絡んでハイキングコースがあったなんて知りませんでした。整備をしてくれたら、結構いいコースで楽しいんじゃないかと思いました。

家に帰って地図を見たら、だいたい載っていました。最後のスカイラインから行者山頂上までは、地図にないので適当に書いてみました。


2016年11月1日火曜日

其の16 大湊めぐり

大湊めぐり



大湊は宮川と五十鈴川の合流する河口にある三角州の町です。古くから水路を利用した伊勢へ物流の拠点として、また宮川上流からの木材の入手が容易であったため造船の町として栄えていました。

 1338 北畠親房らが義良親王を奉じて、大湊から船団を整えて関東へ出帆
 1592 秀吉の朝鮮出兵のため九鬼氏が大湊で日本丸を建造

  など、歴史的にも有名であるといえると思います。

江戸時代には廻船問屋が自治を司り、造船に関連して家釘、船釘、錠などの鉄工業も盛んになりました。明治になるとたくさんの造船工を必要としたため、大湊町立造船徒弟学校(現在の県立伊勢工業高校)が設立されました。造船業は高度成長時代までは繁栄を続けましたが、その後倒産廃業が相次ぎ、以前ほどの繁栄はみられなくなってしまいました。


伊勢山田散策 ふるさと再発見 の本には 大湊の日保見山八幡宮という神社について書かれています。この神社の境内の前には弥栄の松(いやさかのまつ)と呼ばれる大きな松があります。案内板によると、樹齢400年、廻船問屋角谷七郎次郎秀持の庭にあったものが移植されたそうです。


ちなみに大湊の廻船問屋角谷七郎次郎秀持と言う人は、本能寺の変の際に堺を遊覧中だった徳川家康を助け、伊勢国から三河国へ逃れるための船を調達したそうです。以後徳川家の御用商人となり、子孫代々まで廻船自由の特権を与えられたそうです。



また神社の入り口には立派な木製の常夜燈が2基建っています。元は江戸時代の釘問屋の発起により全国の取引先から寄付を募り建立したものだそうです。懸魚や火袋の欄間には透かし彫りが施され豪華なつくりであったそうですが、風雨にさらされて傷み、平成24年に新しいものに置き換えられています。古い常夜燈は境内の倉庫に保管され、ガラス越しに見ることができますが、今回は夕方訪れたため、暗くてはっきりと見ることができませんでした。
境内には多くの石塔が建ち、伊勢で最古の記銘(寛永12年、1635年)のある石灯籠もあります。
これらは、それぞれ寄進されたものであり、かつての大湊の栄華を物語るものだそうです。


さて、まず車を日保見山神社のすぐ近くの防波堤の上に止めると、まず目にはいるのが 義良親王乗船地という石碑です。防波堤の上に建ち、後ろの松林の間から海が見えます。



近くの階段を下りると、鷲ヶ浜という広い海岸に出ます。背の低い硬い葉をもつ海浜植物に覆われた広い原野の先に波の打ち寄せる砂浜が見えます。鷲ヶ浜は約1キロにわたって東西に広がり、防波堤に沿って歩道が整備されています。海のむこうに鳥羽の島々や知多半島、渥美半島を望むことができます。



東にむいて進むと海に突き出た長い長い波除堤が見えてきます。ここで歩道は終わり、南平造船所とかいた巨大な建物があります。残念なことに建造中の船はありませんでした。



この辺りに阿場池跡というのがあるそうで(ネットで調べた情報 神宮の貯木池跡のこと)、しばらく適当に歩いて探し回りましたが見つかりませんでした。近くを通りかかった方に尋ねるとこの辺一帯がアバという所で、かつて神宮の貯木池があったということです。大湊小学校の敷地内に神社があり、その人の話によると、神様の土地を人が使うようになって不幸が続いたため、そこに神社を建てたというのです。行ってみると、大綿津見神社という小さな社と神宮貯木池跡という石碑がありました。阿場池跡というのは、この石碑のことでしょう。阿場は網場の間違いのようで、もともと材木を貯める池を網場というそうです。


「三重県案内」というgoogle書籍によると、大湊の東地区に網場とよばれる池があって、古くから神宮御用材の貯木場として使われていたそうです。木曽御料林より伐採した材木を桑名より廻漕し、一時ここに係留し、内宮御用材は五十鈴川、外宮は宮川に分け、遷宮の際に、それぞれ領地民のお木曳によって運ばれたそうです。網場池がいつまであったかはよくわかりませんが、今は埋められて大湊小学校と住宅地になり、石碑が残されているようです。

ここから日保見山神社までは200メートル程です。日保見山神社に戻って参拝して、帰ることにしました。今は夕方のうえに曇り空で写真がきれいに撮れませんでした。後日また 撮りに来るつもりです。



2016年8月21日日曜日

其の15 六千日参り塔

今回は、四宮の西入という人が建てた4つの千日参り塔のうちの、三千日参り塔と五千日参り塔についてです。この二つは朝熊町地内の宇治岳道と、朝熊岳道にあるということでしたので、実際に朝熊山に登っていけばすぐに見つかるものと思っていました。ところがそう簡単ではありませんでした。


三千日参り塔



朝熊山に登りに行く時、通常は朝熊岳道を登り、朝熊峠で宇治岳道と合流します。そのまま山頂がある八大竜王社をめざし、山頂に到達してから金剛證寺の裏手へおりていくというルートがあります。
朝熊山登山ならこれでよいのですが、岳道は昔から金剛證寺へ参拝するための道です。すなわち朝熊峠の合流地点から金剛證寺の正門まで宇治岳道は続いており、山頂に向かうルートとは異なります。旧参道と地図に書かれているところです。今まで、ここを通ることがなかったので、石塔を見つけることができませんでした。三千日参り塔は、この参道に他の石碑群とともに、ひっそりと立っていました。そこは、朝熊峠までの山道とは異なり、広くなだらかな坂が続き、深い森に囲まれた道です。

昔の人になったつもりで気持ちを想像してみました。はるばる古市から3時間位かかったのではないでしょうか。汗をかいて息をきらしてようやく峠にたどり着き、穏やかな参道にはいったとき、石碑達が参拝者を励ますように並んでいます。もう少し進むと極楽橋とよばれる石の橋があり、小さなお堂を二つ通り過ぎます。いよいよお寺が近づいてきたんだなという、緊張感と期待、安堵感にどきどきしたことでしょう。寺の門前では、たくさんの人がいて茶店が並び賑わっています。道はいつの間にか、きちんと整備されたまっすぐな道で、なおも進むと、正門の石段の下にやってきます。見上げると仁王様がギンとにらんでいます。恐れおののきながら門をくぐると、突然に美しい庭園が開け、大きな赤い屋根の本堂が奥に見えます。きっと有難い気持ちになって参拝をしたことでしょう。

こう思うと、朝熊山に行ったら、山頂よりも、参道をたどって歩いてみた方がいいんじゃないかと思います。


五千日参り塔



五千日参り塔はケーブルカー跡の橋の手前付近と聞いていましたが、2回探してみましたが見つかりませんでした。web で八町石の少し上あたりにあるという地図と写真を見つけ、これをたよりに3回目、探しに行きました。ところがやはりありません。二人で3度も見逃すはずはなく、今は使われていない旧道を探すことにしました。八町過ぎた所に、右手にはいる横道があり、立て札に「九、十町の町石 ただし行き止まり」と書いてあります。もうここしかないと、はじめは藪をかき分けクモの巣を払いながら進みましたが、すぐに歩きやすい山道になりました。そして間もなく、五千日参り塔が道の左にたっているのを見つけました。旧道にあるので、何回探しても見つからなかったはずです。ずっと以前に誰かが供えたのか、破れたペットボトルがあって雨水が溜まっていました。 
五千日供養 四之宮河原 西入 万治四辛丑年六月朔日
とはっきり読めます。お地蔵様の姿はぼんやりとしかわかりませんが、木々に守られて、4つの石塔の中では、最も風化が少ないように思いました。



これで4つの石塔を見つけることができました。(其の14で二つ)

一つ目  千日参り塔は、岳道が古市から分岐して坂を下りきった辺りにあります。おそらくここは、賑わっていた古市を抜けて、朝熊山をめざし、新たに心を引き締めた出発点だったのではないでしょうか。西入という人にとっても、千日参りは目標ではなく、遠大な祈りのはじめの一歩だったという気がします。


千日参り塔


二つ目  三千日参り塔は、千日参り塔の5年後、金剛證寺近くの旧参道にあり、いわば岳道の終着点付近にあります。ひょっとして三千日参りは大きな区切りだったのでしょうか。石塔にも結願と刻まれています。これで終わると考えていたのかもわかりません。

三つめ  五千日参り塔は さらに6年後、朝熊岳道の九町石手前にあります。厳密には中間点ではないと思うのですが、中程という所でしょうか。三千日参り塔と五千日参り塔は、お地蔵様が彫られていて登山者の安全を祈願してくれています。

四つ目  六千日参り塔は 朝熊山から再び離れ、広々とした水田のひろがる土地に立っています。さらに2年後のもので、奉参詣三宮六千日結願供養と彫られています。西入にとって最も重要なはずのこの石塔は、何故ここに建てられたのでしょうか。はじめ、ここが岳道の中で最も風光明美な場所だからなのだろうと思っていました。広い水田、五十鈴川の流れ、遠くの山々。
ここからは内宮の森も見ることができます。三宮参りを六千日でしめくくり、ここに石塔を建立し、なおも内宮参拝を石塔に託しているのかもしれません。それにしても西入という人を突き動かした願い、あるいは信仰とは、どんなものだったのでしょう。年齢を重ねていって、いつかわかる日がくるのでしょうか。


六千日参り塔

道路からわずか1メートルたらずの場所で最も風化がすすんでいます。


2016年5月19日木曜日

洞川温泉と御手洗渓谷 女人結界門 観音峰

4月29日、30日と一泊で 洞川温泉に行ってきました。

洞川温泉は奈良県吉野郡天川村にあります。紀伊半島のちょうど真ん中あたりで、吉野山の南に位置します。吉野から熊野大社を結ぶ大峰奥駈道は、紀伊半島の深い山々を越えていく修験者の修行の道であり、世界遺産に登録されています。特に霊峯と呼ばれる大峯山「山上ヶ岳」は今もなお女人禁制を貫き、全国より修験者が訪れる道場となっています。洞川温泉は山上ヶ岳の登山口近くにある温泉街です。

朝 8時過ぎに車で伊勢を出て、11時半頃に天川川合に着きました。山奥深い温泉と思っていましたが、意外に賑やかな町でした。

観光案内所に寄って、散策地図をもらいました。バスで来た場合は、ここから御手洗渓谷を経て洞川温泉に入るハイキングコースを歩いていけばよいようですが、自家用車の場合はどこを歩いたらよいのか、案内所の人に聞いてみました。すると天川村役場の駐車場に車を置いて、みたらい遊歩道を歩き、光の滝辺りまで行って戻ってくればよいということでした。地図には絶景ポイントがかいてあるので、見どころはちゃんと見て来れそうです。





天川村は高地なので、桜も遅いようで、思わず満開の桜に遭遇しました。
村役場の 駐車場からみたらい遊歩道まで15分位ですが、途中で吊り橋があったので、写真撮ったり、渡ってみたりとしました。実はここから吊り橋はたくさんあったのですが、一つ目は珍しくて、つい時間をつぶしてしまいました。人数制限5人の、小さな吊り橋です。




みたらい遊歩道入り口付近にも駐車場がありましたが、村役場の方は無料です。
さていよいよ遊歩道にはいります。始めは、うっそうとした森に囲まれた細い道でした。足元が湿ってすべりそうでしたが、すぐに明るい歩きやすい道にでます。左手は巨大な白い岩が入り組んだ河原で、その岩の間を澄んだ水の天ノ川が流れていきます。なかなか快適な道で、どんどん歩いていきます。







やがて急な坂道が少しあって、いわゆる御手洗渓谷と呼ばれる所に着きます。ここまで、ほとんど人に会いませんでしたが、ここは駐車場があって、直接来る人が多いようで、結構たくさんの人で賑わっていました。階段を上り、長いコンクリートの橋と吊り橋を渡ると、目の前にみたらいの滝が見えてきます。滝の上には岩でできた天然の大広場があります。遊歩道からその広場に入って行くことができます。広場の先は岩肌の斜面になっていて、水は幾つもの小さな滝をつくりながら流れ落ちてきます。そして平らな場所にくると大きな深い池をつくり、ここからはゆったりと少しずつ流れ、広場の端で滝となって消えていきます。人々はこの平らな場所に立って、岩場の斜面に向きあったり、広い池の澄んだ底を眺めたり、振り返って崖に消える水の流れを見たりしています。爽快な景色です。自分も滝を流れる水の分子になったようです。










光の滝までは脇の道を少し登ってすぐでした。ここに古いベンチとテーブルがあったので、滝の音を聞きながらお昼と休憩をしました。


光の滝

ベンチから山を見る

ここまでゆっくり眺めて堪能して約2時間位でしたが、帰りはさっさと歩いて40分くらいで 駐車場に戻りました。更に洞川温泉までは車で15分程でしたので、旅館に荷物を置いて、また温泉周囲の散策に出かけました。


旅館を出て、八幡宮、面不動鍾乳洞 自然研究路一部 かりがね橋 竜泉寺 八大竜王堂  エコミュージアムセンター とまわって約1時間半程でした。自然研究路はかりがね橋を渡って展望台に行き、さらに川に沿って温泉街から東にある、大峰山登山口まで続いているようですが、ほんの一部しか歩きませんでした。夕方になりそうだったことと、寒かったことと、夫が吊り橋が怖くて渡れなかったためです。

面不動鍾乳洞のある岡から洞川温泉を見る

面不動鍾乳洞

ミニモノレール

吊り橋

竜泉寺

竜泉寺境内にはたくさんの大峯山登山碑が並ぶ


洞川温泉の観光ポスターはいつも提灯がたくさん灯った温泉街の夜景です。道の両側に並んだ旅館街の家並みは古い日本の風情を漂わせています。軒に提灯が並んでつけられていて、夜に散策できたらさぞ素敵だろうと思いましたが、とにかく寒かったんです。お天気はよいのですが、全国的に寒波で北海道で雪などというニュースもありました。ここも、標高820メートル程ということで、夕方になるにつれてどんどん気温が下がってきました。夕方の散歩にはダウンジャケット着用で出かけましたし、温泉にはいって暖まっても夜に外に出たいとは全然思いませんでした。

宿は久保治旅館。中は改装したばかりのようで新しくとてもきれいでした。夕食は、名水ごろごろ水でつくられた豆腐を使用した湯豆腐会席で、とても美味でした。お腹もいっぱいになりました。温泉はさほど大きくありませんでした。旅館街の中の温泉なので、露天風呂は、隣との境を目隠しした塀で囲まれていて、自然の中でというわけではありませんでした。でもお肌はツルツルになりました。温泉街のはずれに公共の日帰り入浴場があったので、暖かい季節なら、そこの方が広くてよかったかも知れません。お土産が何が良いですか、と聞いたら 陀羅尼介というお返事でしたが、それ以外は無いようです。


翌日は、昨日まわれなかった、ごろごろ水、母公堂、大峰大橋の女人結界門を、車で見て回りました。旅館街の道をまっすぐ進むと家並みが急に途絶えます。いきなり深い山のなかを入ったような景色になりますが、観光ポイントの周辺になると、管理棟や駐車場があって賑わっています。ただ、大峰大橋の女人結界門のあたりは独特な雰囲気を漂わせていました。大峰山の登山口にあたります。橋を渡ると大きな山門があって、たくさんの登山修行供養塔と刻まれた石塔が立ち並び、その先に女人結界門があります。結界門をくぐった向こうは、薄暗い山の中で、白い道がゆったりとなだらかに登って行くのが見えます。何か、別の世界に見えます。


大峯大橋 大峰山登山道入り口

橋をわたると門をくぐると、登山供養塔が並ぶ

女人結界門

この辺はたくさんの駐車場があり、どうやら、山上ヶ岳やそれに連なる山々への登山者が利用するようです。洞川温泉は、登山者の前泊地にもなっていて、全国から講という組織をつくった人々が修行のため大峰山山上ヶ岳登山にやって来て、洞川温泉に泊まるようです。


その後、観音峰ハイキングコースで展望台まで、登ってみました。登り口には広い駐車場とトイレ休憩所があって、ここに車を置いて出発します。展望台までは約1時間30分位で、標高差約400メートル、この辺りでは、もっとも手軽に登山が楽しめるコースのようです。登山する予定は無かったのですが、それほど険しい所もなく、大丈夫でした。奥吉野の深い山々に触れることができて良かったと思います。途中に南北朝の物語を解説する石板が設置されていて勉強しながらハイキングができます。そうです、吉野天川は修験者の修業場であると同時に、南朝の舞台となった歴史ある村なのでした。
観音峰ハイキング道

展望台




昼過ぎになって天川川合にもどり、天川大弁財天社に寄って、帰りました。
昼食をとるのに、良さそうな店があまりなく、天川村ふれあい直売所で名水コーヒーと「いもぼた」なるものを食べました。店も小さくて素朴ですが、おじさんおばさん達がとても親切で、「いもぼた」も とても美味でした。ご飯とジャガイモを一緒に炊いて、塩で味付けして丸めて焼いたものだそうです。

帰宅して、思うことですが、御手洗渓谷もとてもよかったし、洞川温泉もよかったです。夏に温泉入った後、夕涼みしながら散歩してみたいと思います。また、山上ヶ岳の独特な雰囲気も、ここならではでしょうし、登山にも 挑戦してみたいと思います。また、来てみたいところです。


2016年5月3日火曜日

其の14 古市から朝熊山へ。。。旧岳道

朝熊山は神宮の鬼門を守る霊山である。「お伊勢参らば朝熊をかけよ朝熊かけねば片詣り」と伊勢音頭に歌われ、参宮客で賑わった。  お伊勢さんテキストより

伊勢山田散策の本によると、伊勢市内には千日参り塔が現在15基ほど確認されているそうです。その多くは神宮もしくは朝熊山の金剛證寺を参拝の対象に千日お参りをしたというものだそうです。

さて、伊勢山田散策の本によると、四宮河原の西入という人の千日参り塔が4基あるということです(1650年から1663年)。1基めは千日参り、2基めは三千日参り、3基めは五千日参り、4基めは六千日参りと刻まれているそうです。単純に計算すると、6000回お参りするには、16年間、毎日参拝しなくてはなりません。しかも六千日供養塔には参拝三宮六千日結願供養と刻まれているので、この人は両宮と朝熊山を往復して六千回も参拝したということになります。両宮と朝熊山を往復すると約25キロの距離があります。当時は代参を業とする行者もいたらしいので、そうした人の協力もあったに違いないと推測されています。いずれにしても、いったいどんな願いがあって、そんなことを思い立ったのでしょう。

この4基の千日参り塔を訪ねてみたいと思いました。これらは、古市から久世戸、楠部、朝熊町を経て金剛證寺に至る岳道沿いにあると書かれています。朝熊町から金剛證寺への道は最も一般的な朝熊岳道でよいと思うのですが、古市から朝熊町につながる岳道というのは初耳でした。

伊勢山田散策の本にある文章は、以下の通りです。

 1番目の塔は久世戸町の坂を横断した伊勢自動車道の南側下にある。

 2番目は朝熊町地内宇治岳道の。。。

 3番目は同じく朝熊町の朝熊岳道にあって。。。

 4番目は楠部町若の山西山麓の旧岳道沿いにあり、。。。


2基めは宇治岳道、3基めは朝熊岳道沿いにあるようなので、朝熊山を登らなくてはなりません。これらは次回にするとして、問題は1基めと4基めです。察するに、古市から久世戸、楠部、朝熊町につながる旧岳道沿いにたてられているに違いありません。
これで、古市から朝熊山への旧岳道を探す! というミッションにすっかりはまってしまいました。

ネットで検索しても出てきませんが、現在地図と古地図を何回も眺めてみました。伊勢ジャスコの先に楠部交差点があり、ここから神宮神田の前を通って朝熊へ抜ける道(県道37号)は以前から知っていました。おそらくこれが旧岳道に相当するのだろうと思われます。その手前の久世戸町あたりで、伊勢自動車道を横断している道は2本しかありません。1本は新興住宅地につながっているので、多分新しい道です。そうするともう1本の方になります。とりあえず、夫と現地に行ってみることにしました。
この道は伊勢自動車道の下をくぐって交差していました。右手に本誓寺があり、左は空き地ですが、雑草が茂っていて入ることができません。ここにあったら絶望的と思いながら遠巻きに左の空地に沿って歩くと、数十メートル行ったところで、伊勢自動車道路のほうへ伸びる細い道を見つけました。たどって行くと誰も使っていない伊勢病院職員用の寂れた駐車場があり、何とその入り口に自然石でできた千日参り塔がありました!! ついに発見です。逆に、千日参り塔があるので、この道こそ古市から楠部町をむすぶ旧岳道に違いありません。、道は、その先もくねくねと曲がっていって伊勢自動車道の側道にぶつかると行き止まりになっていました。小さな休憩所の様なスペースが作られてベンチが置いてあります。つまり、旧岳道は伊勢自動車道によって分断されて、つながっていなかったのです。


伊勢病院職員駐車場とありますが、空っぽです。
こんなところに人知れず、立っています。 
366年前は人の行交う賑やかな場所だったのでしょう。

大きく竹かんむりに山の一文字 
存在しない文字。岳を洒落て記したとか。

塔の前の道 くねった道は昔の街道

行き止まりになってしまいます。

さっきの立体交差に戻って伊勢自動車道の反対側に出てみると、立体交差からの道は、急な坂をカーブしながら上っていって古市の方向へ伸びています。さっきの道の途切れた辺りのこちら側には坂道から側道へ降りる小さな階段がありました。もし伊勢自動車道が無かったら、この坂道を下りてきて階段を通り、すんなりと千日参り塔の前の道に行けた事でしょう。この坂道も旧岳道に違いありません。古い街道はくねくねと曲がっているので、なんとなく、それとわかるようになりました。この道をどんどん登っていくと、倭姫宮から上がってくる道と交差して、最後は古市の街道に出ます。ここが、朝熊岳道の本当の始点に違いありません。何か目印と思いましたが何も見つかりません。後ろを振り返って、通りがかりの人に岳道のことを聞いてみようと思ったその瞬間、おお、看板がありました!


反対側の階段


古市の曲がり角の看板


朝熊岳道は朝熊町のふれあい広場駐車場が起点と思い込んでいましたが、当然昔は違ったはずでした。本当の朝熊岳道は古市から始まっていたのです。



4番目の塔についてですが、楠部町の若の山という山も初耳でした。地図には載っていません。楠部町若の山で検索すると、老人保健施設山咲苑の住所にこの地名がありました。たしかに山咲苑は小高いところに建っています。この小さな山?を若の山というのかも知れません。県道37号線からは少しはずれますが、たしかにこの山の西側山麓に道があります。この道路沿いをGoogle street view で探すと、なんと4番目の塔を見つけることができました。

ここを旧岳道とすると、旧岳道は神宮神田のすぐ前は通らず、もっと五十鈴川よりを通っていたのかもしれません。たしかに神宮神田の前の道はまっすぐで、古い道ではないように思います。けれども、他に旧道らしき道も見当たりません。この辺りは五十鈴川と伊勢自動車道、神宮神田に囲まれた広々とした水田が広がり、まっすぐなあぜ道で仕切られています。伊勢自動車道路の工事によって周辺の昔の姿は失われたのかも知れません。また神宮神田も今よりもっと広かったのかもしれません。いずれにせよ、記念すべき六千日参り塔が建てられているので、ここは何らかの意味のある要所だったのでしょう。

五十鈴橋付近から見る若の山 左隅に山咲苑 右手は37号線

道路沿いにぽつんと立っています

奉参詣三宮六千日結願供養
読みにくいけれど刻記されています。