2016年5月3日火曜日

其の14 古市から朝熊山へ。。。旧岳道

朝熊山は神宮の鬼門を守る霊山である。「お伊勢参らば朝熊をかけよ朝熊かけねば片詣り」と伊勢音頭に歌われ、参宮客で賑わった。  お伊勢さんテキストより

伊勢山田散策の本によると、伊勢市内には千日参り塔が現在15基ほど確認されているそうです。その多くは神宮もしくは朝熊山の金剛證寺を参拝の対象に千日お参りをしたというものだそうです。

さて、伊勢山田散策の本によると、四宮河原の西入という人の千日参り塔が4基あるということです(1650年から1663年)。1基めは千日参り、2基めは三千日参り、3基めは五千日参り、4基めは六千日参りと刻まれているそうです。単純に計算すると、6000回お参りするには、16年間、毎日参拝しなくてはなりません。しかも六千日供養塔には参拝三宮六千日結願供養と刻まれているので、この人は両宮と朝熊山を往復して六千回も参拝したということになります。両宮と朝熊山を往復すると約25キロの距離があります。当時は代参を業とする行者もいたらしいので、そうした人の協力もあったに違いないと推測されています。いずれにしても、いったいどんな願いがあって、そんなことを思い立ったのでしょう。

この4基の千日参り塔を訪ねてみたいと思いました。これらは、古市から久世戸、楠部、朝熊町を経て金剛證寺に至る岳道沿いにあると書かれています。朝熊町から金剛證寺への道は最も一般的な朝熊岳道でよいと思うのですが、古市から朝熊町につながる岳道というのは初耳でした。

伊勢山田散策の本にある文章は、以下の通りです。

 1番目の塔は久世戸町の坂を横断した伊勢自動車道の南側下にある。

 2番目は朝熊町地内宇治岳道の。。。

 3番目は同じく朝熊町の朝熊岳道にあって。。。

 4番目は楠部町若の山西山麓の旧岳道沿いにあり、。。。


2基めは宇治岳道、3基めは朝熊岳道沿いにあるようなので、朝熊山を登らなくてはなりません。これらは次回にするとして、問題は1基めと4基めです。察するに、古市から久世戸、楠部、朝熊町につながる旧岳道沿いにたてられているに違いありません。
これで、古市から朝熊山への旧岳道を探す! というミッションにすっかりはまってしまいました。

ネットで検索しても出てきませんが、現在地図と古地図を何回も眺めてみました。伊勢ジャスコの先に楠部交差点があり、ここから神宮神田の前を通って朝熊へ抜ける道(県道37号)は以前から知っていました。おそらくこれが旧岳道に相当するのだろうと思われます。その手前の久世戸町あたりで、伊勢自動車道を横断している道は2本しかありません。1本は新興住宅地につながっているので、多分新しい道です。そうするともう1本の方になります。とりあえず、夫と現地に行ってみることにしました。
この道は伊勢自動車道の下をくぐって交差していました。右手に本誓寺があり、左は空き地ですが、雑草が茂っていて入ることができません。ここにあったら絶望的と思いながら遠巻きに左の空地に沿って歩くと、数十メートル行ったところで、伊勢自動車道路のほうへ伸びる細い道を見つけました。たどって行くと誰も使っていない伊勢病院職員用の寂れた駐車場があり、何とその入り口に自然石でできた千日参り塔がありました!! ついに発見です。逆に、千日参り塔があるので、この道こそ古市から楠部町をむすぶ旧岳道に違いありません。、道は、その先もくねくねと曲がっていって伊勢自動車道の側道にぶつかると行き止まりになっていました。小さな休憩所の様なスペースが作られてベンチが置いてあります。つまり、旧岳道は伊勢自動車道によって分断されて、つながっていなかったのです。


伊勢病院職員駐車場とありますが、空っぽです。
こんなところに人知れず、立っています。 
366年前は人の行交う賑やかな場所だったのでしょう。

大きく竹かんむりに山の一文字 
存在しない文字。岳を洒落て記したとか。

塔の前の道 くねった道は昔の街道

行き止まりになってしまいます。

さっきの立体交差に戻って伊勢自動車道の反対側に出てみると、立体交差からの道は、急な坂をカーブしながら上っていって古市の方向へ伸びています。さっきの道の途切れた辺りのこちら側には坂道から側道へ降りる小さな階段がありました。もし伊勢自動車道が無かったら、この坂道を下りてきて階段を通り、すんなりと千日参り塔の前の道に行けた事でしょう。この坂道も旧岳道に違いありません。古い街道はくねくねと曲がっているので、なんとなく、それとわかるようになりました。この道をどんどん登っていくと、倭姫宮から上がってくる道と交差して、最後は古市の街道に出ます。ここが、朝熊岳道の本当の始点に違いありません。何か目印と思いましたが何も見つかりません。後ろを振り返って、通りがかりの人に岳道のことを聞いてみようと思ったその瞬間、おお、看板がありました!


反対側の階段


古市の曲がり角の看板


朝熊岳道は朝熊町のふれあい広場駐車場が起点と思い込んでいましたが、当然昔は違ったはずでした。本当の朝熊岳道は古市から始まっていたのです。



4番目の塔についてですが、楠部町の若の山という山も初耳でした。地図には載っていません。楠部町若の山で検索すると、老人保健施設山咲苑の住所にこの地名がありました。たしかに山咲苑は小高いところに建っています。この小さな山?を若の山というのかも知れません。県道37号線からは少しはずれますが、たしかにこの山の西側山麓に道があります。この道路沿いをGoogle street view で探すと、なんと4番目の塔を見つけることができました。

ここを旧岳道とすると、旧岳道は神宮神田のすぐ前は通らず、もっと五十鈴川よりを通っていたのかもしれません。たしかに神宮神田の前の道はまっすぐで、古い道ではないように思います。けれども、他に旧道らしき道も見当たりません。この辺りは五十鈴川と伊勢自動車道、神宮神田に囲まれた広々とした水田が広がり、まっすぐなあぜ道で仕切られています。伊勢自動車道路の工事によって周辺の昔の姿は失われたのかも知れません。また神宮神田も今よりもっと広かったのかもしれません。いずれにせよ、記念すべき六千日参り塔が建てられているので、ここは何らかの意味のある要所だったのでしょう。

五十鈴橋付近から見る若の山 左隅に山咲苑 右手は37号線

道路沿いにぽつんと立っています

奉参詣三宮六千日結願供養
読みにくいけれど刻記されています。

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