2016年5月2日月曜日

其の12 横輪・矢持を歩く 飯盛寺と兜岩水神

伊勢神宮の南西に位置する横輪、矢持のあたりは、一宇郷谷と呼ばれていました。壇ノ浦の戦いで敗れた平家の落人が隠れ住んだと言われ、それにまつわる様々な言い伝えが残されています。鷲嶺の山の深い森には落ち武者の亡霊の伝説がありますが、実際に訪れてみると、春は桜、夏はホタルと、自然豊かで美しい、のどかな山里です。

 

今日の目的は、山田散策の本に載っている飯盛寺と兜岩水神です。

現在の飯盛寺は南勢町の切原にありますが、かつては五か所浦と内宮の中間地の山中にあって参拝者も多く栄えていた大きな寺院だったそうです。今日、訪れたのはその寺院跡で、本堂跡に八大竜王が祀られているため、地図には八大竜王と記されています。

飯盛寺は、神宮の裏鬼門を守る寺として聖徳太子が興したと言うことです。また疱瘡の守り札の霊験あらたかで信仰を集め、五か所からの海産物を伊勢に運ぶ中継地としても賑わっていたそうです。しかし、明治になって廃仏毀釈運動のなかで衰退し、暴風雨による本堂倒壊にあって、廃寺となったそうです。

飯盛寺跡に行くには、一宇郷谷の最も奥、床の木(いすのき)から、道が途切れる直前に林道にはいり急な坂を登って行きます。途中で林道から分かれますが、赤や黄色のテープが巻いてあるので、まよわずに進めます。伊勢の山は椿の森が多く、赤い花があちらこちらに見えるので、黄色いテープの方が目だって助かります。

飯盛寺跡は今でも信者の人達によって手入れされているのか、まだ新しい石碑が幾つも建っています。八大竜王の社もしっかりと閉じられて中を窺うことはできません。かつては立派な庭園になっていたのか、弁才天の池があり、その水は驚くほど透明でした。池の端に、石を積み上げて囲ってある泉と思しき所があり、水神明王という石柱が建っていました。近づくと石壁から蛙が泉に飛び込んで水音が響き、いきなりで驚かされましたが、一瞬の出来事で、後はいくら探しても蛙の姿は見つからずじまいでした。

飯盛寺跡


八大竜王の祠


弁才天池 透明で美しい 


床の木までの戻りは、浅間神社の前を通る別の道を通りました。小さな浅間神社のお社ですが、その前の階段の傷みと傾斜がなかなかでした。こちらの道を通ると、少し手前の床の木の集落に戻ります。分岐点に一本の桜の木があり、その根本にお地蔵さんが立っています。舟形の光背に右いいもり道と書いてあるのが読めます。床の木から五か所までの道は、飯盛寺を経由して切原峠に至り五か所に行く道と、寺を通らずに切原峠に至り五か所に行く道と二つあったようです。




右いいもり道と読めます。




兜岩水神は、矢持下村から、鷲嶺に向かう道に曲がり、直後に左折して、しばらくは横輪川の右岸に沿うように歩きます。過去に2,3回 兜岩水神を探したことがありますが、何の案内もなく見つからずじまいでした。今回もまたあきらめかけたところでしたが、地元の方に訪ねたところ、快く案内して下さいました。道はしだいに山の中腹に向かいます。川とは離れますが、どんどん進むと、鳥居があってその向こうに注連縄の張られた大きな岩が見えてきます。

山田散策の本によると、兜岩水神は、下村の古い家柄の某家が代々守り祀っているそうです。その家には長男にのみ言い伝える一人口伝の言い伝えがあったそうですが、主が戦死したため、口伝を継ぐことができなくなってしまったそうです。ただ、兜岩水神は水天宮であると伝えられているそうです。


案内してくれた方によると、毎月5日はお祭りの日だそうです。水天宮の例大祭は5月5日、縁日は毎月5日ということで、たしかに一致しています。 水天宮は幼くして亡くなった安徳天皇の霊をなぐさめるものです。兜岩水神を代々守っている某家は、もしかもしたら平氏の末裔なのでしょうか。

森閑とした山の中腹にある兜岩水神


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