2016年2月2日火曜日

其の2 宮川堤 中央構造線

其の2 宮川堤 中央構造線

  度会橋側の駐車場。。。。。孫右衛門堤。。。。。。中央構造線看板と平岩露頭。。。。。折り返し

 。。。。。楠大明神。。。。。大日権現社。。。。。。度会橋側の駐車場


いつもの宮川堤のランニングコースです。 
度会橋より上流の右岸は、車の進入禁止の広い道が約3.5キロ続いています。犬の散歩やウォーキングをする人、ジョギングをする人など、けっこう人がいますので、一人でも大丈夫です。広々としたすばらしい景色が堪能できるお勧めの散歩 or ジョギングスポットです。



宮川は、大台ケ原山系を源流として伊勢市の西部から北部に流れ伊勢湾に注ぐ、三重県最長の川です。一級河川の全国水質ランキングで平成3年に初めて第1位となり、その後も常に上位を占めています。しかし、豊富な水量をほこるこの川は江戸時代以前は治水対策が行き届かず、たびたび堤防が決壊し、田畑を流し、人々を苦しめていたということです。
それを見かねた松井孫右衛門という人物は自ら申し出て人柱になった、という伝承があります。(お伊勢さんテキストより)

度会橋から約300m上流のところに、孫右衛門堤があり、祠のなかに孫右衛門の胸像とおもわれる石像が祀られています。






そこからさらに700m程下流に、「この付近を日本最大の断層、中央構造線が通っています」という看板があります。
その後ろの川床には白っぽい岩場があります。看板によるとこれを平岩露頭とよぶそうです。この岩は領家変成帯の上に堆積した高倉層 (??チンプンカンプンですが) のものだそうです。看板によると 中央構造線は外宮や市役所の真下を通っているそうです。

そもそも中央構造線って何でしょう。何回調べても聞いても、どうも立体的なイメージが苦手でピンとこないのですが。形成されたのは約1億年前で日本最大の断層ということです。人工衛星などから写真をとると、四国から紀伊半島の地形が亀裂のように窪んでいることがはっきりとわかるそうです。
大まかに言うと、日本列島が誕生したころ、大陸プレートの下に海洋プレートがもぐりこんでいく二つのプレートの境界で、大陸側と海側では異なるタイプの変性岩がつくられたそうです。(大陸側では、高温低圧型変成をうけて領家変成帯、海側では低温高圧型変成をうけて三波川変成帯を形成) これらは本来離れて存在していましたが、断層のずれの活動により接するようになり、これを中央構造線というそうです。したがって中央構造線より北の地域では領家変成帯、南の地域では三波川変成帯の岩石が見られるそうです。宮川付近では 中央構造線そのものを見ることはできませんが、ここでは領家変成帯の上に堆積した高倉層の岩石(平岩)が見られます。また、二見の夫婦岩は三波川変成帯の岩石だそうです。松阪の粥見では断層活動により変成した岩石マイロナイト(中央構造線が近くを通っていることを示す)、月出では中央構造線そのものの露頭を見ることができるそうです。
看板には活断層ではないと書いてありましたが、Wikipedia では 一部活断層とありました。
神宮って安定した土地にあるのかと思っていました。



宮川には小さな支流がいくつかあり、それぞれに水門がつけられています。数年前の上流の豪雨で宮川の水量が増した時、水が支流に逆流して、その支流流域だけが浸水したことがありました。
そんな水門のどれかをめやすにして 適当なところで折り返し、今度は度会橋の下流に向かって走って行きます。

度会橋から、ほんの200m足らずの下流側に、堤防の上に楠大明神、川側の堤防の下に小さな大日権現社があります。
 
楠大明神の楠はもとは町の境界に植えられていたので境楠とか、さかさまに植えたように見えるので、逆楠(さかくす)とか呼ばれているそうです。でも、どうして大明神になったのかは、わかりませんでした。


ここでほぼ5キロ走ったのでランニングは終了しました。少し戻って堤防下に見えた大日権現社を見に行きました。

大日権現社には看板があって説明が書いてあるようなのですが、薄くなって読めません。他の人のブログから、「孫右衛門が人柱になって100年ほど、宮川は絶えず増水の危険にさらされていました。彦兵衛という町人が祈願を続けたところ天照大神が夢に現れて大日如来を権化としてお祭りせよというお告げがあり、ここに大日権化社が建てられました。」ということが書いてあるそうです。
そうすると江戸時代から、ここあるということになるのでしょうか。40センチくらいの石に大日権現と彫られています。見ただけでは分かりにくかったのですが、触ると良く文字がわかります。石塔は地面に置かれていて、その後ろに台座の様な窪みのある石が見えます。
ここからは勝手な推測です。この石碑は壊れているのかもしれません。ここは堤防の下なので、江戸時代からあるのなら、増水のときには何度も水に浸かったでしょう。よく流されなかったものだと感心してしまいます。それから、大世古の浅間神社の御神体の大日如来の石に似ていると思いました。何の関係もないのでしょうが、とても不思議な感じがします。
この不思議が、いつか納得できる日がくるといいなと思いつつ、本日は終わります。




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