週末の楽しみとして、伊勢の名所、史跡 文化財などを こつこつ回って訪ねて行きます。
参考本は、「検定お伊勢さん 公式デキストブック」 と、「伊勢山田散策 ふるさと再発見」 の2冊で、あとは、興味のおもむくままに。
其の1 2016年1月24日
午前の部 自宅スタート。。。。。勢田川 ( 河崎まちなみ 川の駅 ) 。。。。。旧常明寺跡
。。。。。。御幸道路 ( 葉山太夫邸門 福島みさき太夫邸門 )。。。。。。
神宮文庫 (外観のみ)。。。。。隠ヶ岡遺跡。。。。。。自宅
午後の部 外宮。。。。。神路通り。。。。。。月夜見宮。。。。。。常明寺。。。。。外宮
午前の部は約7キロ ジョギングしながらで1時間 午後の部は1.5キロ 歩いて30分くらい。
ちょっと気をつけただけで、家の近くにこんなに見るべきものがあるとは、驚きです。ほんとうはまだまだあるのですが、少しずつ。
今日のメインテーマは常明寺でした。
伊勢山田散策の本の一番初めに取り上げられている、「日蓮自彫りの石題目」 に深く関係しているところです。
そこは私の不思議スポットの一つでもありました。いつものジョギングコースの道をはさんだ反対側にあり、、日蓮聖人大誓願之地と書かれた柱が立てられています。お寺の庭のようにきれいなのですが、お堂はなく、誓いの井戸なるものがあります。伊勢神宮と日蓮さん? ずっと違和感を感じていましたが、本を読んで、ああ、あれが旧常明寺跡なのだと納得がいきました。
旧常明寺は平安時代に建立され、明治維新後の廃仏毀釈によって廃寺となるまで、門前筋には多くの店が立ち並び、たいそう栄えていた寺だったようです。1252年、日蓮さんがここに参籠して境内の閼伽井で身を清め三大誓願をたて両宮へ百日詣でをしたといいます。また、このとき日蓮さん自ら石に題目「南無妙法蓮華経」を刻んだとされます。現在の常明寺は、明治27年に日蓮宗の信者たちによって別の場所に再建されたもので、石題目も現常明寺に安置されているそうです。
(伊勢山田散策より)
神宮と仏教の関係
日本古来の神祇思想は仏教の伝来によって大きな影響をうけます。奈良時代には神仏習合の傾向が高まりますが、伊勢神宮ではこれを嫌い仏教にたいして忌み言葉なども使われていました。しかし平安中期には本地垂迹説が現れ、天照大神の本地仏を大日如来とする説も成立し、平安末期から鎌倉時代になると神宮でも造寺や納経供養などが行われるようになります。江戸時代には勧進聖や山伏なども活躍し寺院の創建が相次ぎ、数百の寺院が存在したそうです。明治の神仏分離令と廃仏毀釈策によって多くは廃寺に追い込まれ、十五ヵ寺までに減少しましたが、その後の再興もあり、現在は百ヵ寺以上あるということです。神仏分離令により、神宮への参道にあった寺は撤去され、宮川から五十鈴川の間の地域では仏式葬儀が禁止されたそうです。
(お伊勢さん公式テキストブックより)
常明寺の歴史はまさに、伊勢における仏教寺院の歴史そのものです。神宮でも神仏習合がすすんでいた平安時代の創建で、外宮の神官である度会氏と深くかかわっていたそうです。日蓮さんの前にも1186年、東大寺の衆徒700名が神宮参拝をし、常明寺を訪れているそうです。若き日の日蓮さんがここにきて百日詣でをしたというのも、あり得ないことでもないように思えます。江戸時代には門前町が栄え、茶店やら遊郭が立ち並び賑わっていたといいますが、明治維新後は、取りつぶされて廃寺になってしまいます。しかし間もなく信者らによって別の地に再建されるのです。
今、旧常明寺は、敷地の一部と井戸が残され、三大誓願を伝える石碑や塔が立っているだけで、かつての面影はありません。
現在の常明寺は月夜見さんの近くにあります。境内に松尾芭蕉の句碑があるそうなので、思い切って敷地に入らせていただきましたが、よそのお宅のお庭にはいってしまったような感じで、句碑の写真を撮らせてもらってお参りだけして、そうそうに出てきました。三大誓願はお寺の塀の壁に掲げてあります。
我れ日本の柱とならむ
我れ日本の眼目とならむ
我れ日本の大船とならむ
等とちかいし
願やぶるべからず
この誓願は好きです。希望と力強さを感じます。
旧常明寺跡 |
旧常明寺跡 誓いの井戸 |
旧常明寺跡 |
葉山太夫邸門 |
福島みさき太夫邸門 (神宮文庫門) |
神宮文庫 |
隠ヶ岡遺跡(弥生時代後期) |
神路通り 月夜見宮と外宮を結ぶ道。 月夜見の神様が外宮に通う道で、中央は神様が通るから、人は端を歩かなくてはいけない。 神様はお宮の石垣の石を白馬に変えて乗って行くそうです。 |
現在の常明寺門 |
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