2021年2月17日水曜日

伊勢参宮名所図会 巻の四 清盛楠 一の鳥居 神 茜社

 これより宮中勅使上使の本道


清盛楠 前に言う一の鳥居橋の前なる大楠樹なり 子細図上に記す

一の鳥居 御宮の本道第一の鳥居をいう 宮後より舘に出で行き東に向かうて行きあたり橋をわたり一の鳥居にいたる 是より兵仗及び仏具を帯せざる事北御門に同じ 勅使上使も是より下乗せられ兵仗を解いて参入あるなり この趣を制札に記して立らる また草の類 すべて不浄の品 足駄などこの所より禁ず 北御門豊川の橋の前にもこの制札あり

神庫 一の鳥居と二の鳥居との間 西の方にあり 古典記録等を納む 寛文年中の御遷宮の時に再興す 昔は是に添えて文殿とて 講習校勘のため建ておかれしを火災を憚りて今の宿館に付て建てらるる 是を文殿という 神官雑事に天平神護年中の条に文殿焼亡の事載せたり

茜の社 前の町氏神なり 二鳥居前左へ入る所にあり 穴ありて前に鳥居多く立てり その数を知らず



💬
寛文 1661~1673    天平神護 765~767
神庫(しんこ)  文殿(ふどの ふみどの) 
古くより神宮には、記録文書を収めるための施設があったそうです。内宮では文殿、外宮では神庫と呼ばれていました。「大神宮諸雑事記」に、天平神護2年(766)に内宮文殿焼失の記述があり、この時代にすでに文殿が存在していたことが窺われます。また、外宮の神庫が初めて記録に見られるのは、500年後の1261年、「鏑矢伊勢宮方記」に外宮に神庫ありと記されているそうです。これらの施設は神職の研究調査に利用されていましたが、禰宜以下の者が利用することは許されていなかったそうです。
また、内宮と外宮は対立していたため、文殿と神庫は独立して存在し、統一されることはありませんでした。明治になって、これらの施設は廃止され、内宮外宮の所蔵していた文書記録、豊宮崎文庫、林崎文庫の蔵書を統合保管する神宮文庫が設立されました。現在では神宮司庁によって運営され、一般人も閲覧可能となっています。(とはいってもなかなか気軽にはいけませんが)
本文中に「文殿」について記述がありますが、内宮の文殿と外宮の神庫との区別があいまいになっているように思います。

倉田山 神宮文庫
蔵書は30万で、うち28万は江戸時代以前の書籍だそうです。国宝、重要文化財などを含みます。神宮文庫の門は御師福島みさき大夫の邸門を移築したもので黒門と呼ばれています。皇學館大學に隣接しています。御幸道路をはさんで倭姫宮、付近に徴古館などがあります。

黒門
💬
全くの余談ですが、倉田山というのは地図には載っていない伊勢の地名です。倉田山公園に野球スタジアムがあり、隣接して松尾観音、周辺には皇學館大學、皇學館付属中学・高校、倉田山中学、伊勢高校と多くの学校があり、神宮文庫、神道博物館、神宮徴古館、農業館、美術館があり、倭姫宮もあります。緑豊かな地域で、かつては本当の山だったのかもしれませんが、どこからどこまでが倉田山なのか、よくわかりません。倉田山中学の校庭には三角点がありますが、決して最高地点ではないようです。

💬
茜社は外宮境内の勾玉池のほとりに鎮座する神社です。創建は986年以前、主祭神は天牟羅雲命と蛭子命で、元は外宮の摂社でしたが明治になって神宮所管から独立しました。また山田産土八社の一つです。現在は表参道からは入れず、参宮館東のバス駐車場からと、駐車場から外に出て道路から茜社の参道があります。二つの参道には多くの鳥居が立ち、境内には茜社と、豊川稲荷神社、菅原道真を祀る天神社の3つの社殿が並んで立っています。茜社の本殿は木に囲まれ、前に拝殿の建物があってよく見えないのですが、神明造で千木や鰹木に装飾金具が見られます。傍らに覆屋のついた井戸が祀られています。豊川稲荷神社の社殿は最も大きく立派です。入口にはたくさんの白い狐が置かれていて目をみはります。天神社では牛像が神様として祀られています。菅原道真公の御霊を牛像に入魂したという説明がありました。その牛は赤い紐で飾られ、なんとも優しく重厚です。

💬
茜社は文化文政の頃まで石壇のみで社殿がなかったそうです。したがって、伊勢参宮名所図会の時代もまだ社殿は無かったという事になります。また「小祠拾」の茜社に関する記述に「石壇の東北の方に稲荷とて岩窟あり、土俗豊川稲荷明神という」とあるそうです。本文でいきなり「穴」が出てきてびっくりしましたが、たしかに穴(岩窟)を稲荷明神として祀っていたようです。
お稲荷さんと穴の関係について全く知りませんでしたが、調べてみると、
古来日本では山の神、田の神を信仰する風習があったそうです。田の神とは農耕、稲作の神様で、その使いが狐とされていました。本来、田の神の祀り場は狐塚だったそうです。狐塚というのは狐の棲家の穴などを神聖なものとして祀った所だそうです。近世になって稲荷信仰が広まると、狐塚で稲荷神がまつられるようになりました。稲荷神も稲作、農業の神なので、田の神と稲荷神が同一のもと考えられたのだと思います。狐塚を人為的に築いて祠をたてたものもあったでしょうし、自然の岩窟などを狐塚に見立てて祀ったものもあったと思われます。境内に狐塚がみられる稲荷神社はたくさんあるそうです。(私は見たことがありませんが)ネットに出ている東京の穴稲荷、静岡の割狐塚神社などがそうなのかもしれません。また、お稲荷さんの祠の裏に小さな穴があいている事があるそうです。これは神の使いである狐の出入りする穴だそうですが、狐塚の名残なのかもしれません。

今の豊川稲荷の社殿はとても立派です。石積の上に塀がめぐらされていて、裏に回っても穴などはわかりませんでした。本殿の下にあるのかと想像するのみです。

茜社(あこねさん)参道

東にある天神社

牛像



中央に豊川稲荷神社

たくさんの狐たち

西に茜社

拝殿所


0 件のコメント:

コメントを投稿