清盛楠
昔 小松内大臣重盛公
勅使として参向の時
冠にさわるべしとて
西へさしたる枝を
伐らせられし事あり
これを里俗あやまりて清盛楠と
いうなるべし
勅使として清盛公三度 重盛公は一度
冠にさわるべしとて
西へさしたる枝を
伐らせられし事あり
これを里俗あやまりて清盛楠と
いうなるべし
勅使として清盛公三度 重盛公は一度
参向ありし由は
勅使部類例文等に見えたり
勅使部類例文等に見えたり
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驚きの人違いでした。それでも、今も清盛楠は清盛楠です。
重盛は清盛の嫡男でした。穏やかで情に厚い優れた人物だったそうですが、清盛と後白川法皇の間に立って心労の多かった人のようです。病没のため、実際に清盛の後を継いだのは異母弟の宗盛でした。冠にあたるから枝を切らせたというエピソードは、良いことなのか悪いことなのかよくわかりません。参道に枝が伸びて人にあたりそうになったら、切るのは普通の事のように思います。1000年近くも言い伝えられているというのは、清盛という人の人気でしょうか。また、その楠が今も残っているのも凄いことです。
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伊勢参宮名所図会の絵では、清盛楠は橋を渡って左に描かれています。今は右側にあります。西に伸びた枝が冠にあたるのなら、楠は東側(左)にあったはずと思います。それに楠の位置から今の参道まで相当遠いので、枝が伸びて届いたとなると、やはり参道や橋の位置が昔は違っていたのではないかと思います。絵図にみられるような齋舘を囲う石垣や、清盛楠の東側の多くの人家なども、今は無くなっています。
清盛楠 樹齢1000年を超えるといわれています |
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