2020年3月20日金曜日
伊勢参宮名所図会 巻之四 山田
山田(やまだ)
山田は十二郷の俗称なり
但し外宮儀式帳にいう山田が原なり
和名鈔にいう陽田は度会郡のうちの郷名にして山田とは別なり
山田は継橋 沼木 箕曲 この三にわたれり
威勝寺
大間広 一志
草名伎神社 国生社 大間社 清の井庭社
藤岡山
上ノ御井社
宮後
新月読宮 高川原社
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山田は ようだ やうだ などと発音されたそうです。
山田とは外宮鳥居前町として発展した地域をさします。また古くより、外宮の鎮座する地域一帯を山田が原といいました。ここでは同じということになっています。
💬左ページ
威勝寺が奥に描かれています。その手前に家が立ち並び人々の往来する伊勢街道、さらに手前に大間広、草薙神社、大間国生神社、清野井庭神社が描かれています。一志は町名です。
💬右ページ
いよいよ外宮の境内にある上ノ御井社が奥に描かれています。その背後の山は藤岡山(この山の名は初めて知りました)。伊勢街道は曲がっていて手前に月読宮と高河原神社があります。宮後は町名です。清野井庭神社と月読宮、すぐ近くのようですが、実際は1キロくらい歩かねばなりません。
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山田という地名は現在は残っていませんが、昭和30年までは伊勢市は宇治山田市という名でした。また、近鉄山田線、宇治山田駅、宇治山田高校、史跡としての山田奉行所など、今でもなお、なじみ深い言葉であります。
💬継橋 沼木 箕曲
継橋は、現在の藤里北部を南西端とする瀬田川右岸域と比定されるそうです。沼木は一之木あたりを北限とする宮川右岸および支流の横輪川流域の領域と比定され、外宮が鎮座する所でもあります。箕曲は、現在の河崎 宮後 船江 竹ヶ鼻 馬瀬 神社 大湊 新開の地に比定されるそうです。(継橋は千年村プロジェクト、沼木、箕曲は角川地名大辞典三重県「旧地名編」より)おおざっぱに色分けしてみました。いずれも平安時代から見られる地名で、江戸時代もその一帯をよびあらわすのに使われていたそうです。しかし沼木を除いて、これらの地名は、現在はほとんど忘れられてしまったようです。およそ千年も続いていた地名なのに、消えてしまうのは残念な気もします。
沼木のうち、神園・円座・上野・横輪・矢持の集落は、明治になってからも沼木村として残り、昭和30年に伊勢市に統合されるまで存続していました。現在も伊勢市役所の沼木支所があり、また沼木まちづくり協議会が設立され、地域住民のための活動や観光PRなどの活動をしています。
箕曲は、箕曲神社(小木 ララパーク裏)、箕曲中松原神社(宇治山田駅前)の神社名に残っているだけと思われます。箕曲中松原神社の由来によると箕曲は、美乃、美野、あるいは勢田川が曲がるところを意味する、水曲(みのわ)に由来するそうです。
継橋については、現在の伊勢において、全くその名を見出すことができませんでした。発見したら書き足していくつもりです。
かなり広い地域にわたります。沼木の南端は横輪、箕曲の北端は大湊です。古代の山田原を想像してみると、人家もまばらで、沼木は森林地帯、箕曲は宮川の支流が網目をなす低地、継橋は宮川の三角州の外側で瀬田川によって箕曲とは隔てられた土地という感じでしょうか。
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