2016年3月5日土曜日

其の7 宮川の渡し

 
昔、宮川には橋が架かっておらず、人々は柳の渡し、桜の渡し、磯の渡しなどのどれかを船で渡らねばならなかった。川が増水すれば川止となり、難儀をすることが多かったため、「お伊勢さんほど大社はないがなぜに宮川橋がない」と歌われたほどである。明治30年に参宮鉄道が開通し、明治44年に度会橋、大正8年には宮川橋が開通し、宮川の渡しも姿を消した そうです。      (お伊勢さん テキストブックより)

ということで、今日は宮川を度会橋付近から下流に向かって、宮川の渡しの跡をさがして行くことにしました。    


2月28日(日曜日)  出発は昼過ぎ、度会橋の東詰駐車場に車を置いて、ジョギングで。



度会橋 駐車場。。。。。。。 神宮御用材貯木池の跡 石碑 。。。。。。。。 桜の渡し 案内板 


。。。。。。。 高向堤防完成記念碑 。。。。。。。 ラブリバー公園 。。。。。。 


磯の渡し広場( 御頭神事禊斎の場、磯の渡し案内板、浅間神社高向富士講遥拝所 ) 。。。


折り返し。。。。。。度会橋 駐車場 。。。。。。。孫右衛門堤付近 




まず、いつもの駐車場に車を置いて出発です。堤防の上では見落としてしまうかもと、なるべく河川敷付近を走ろうと降りて行くと、まさに1分で神宮御用材貯木池の跡という石碑の前に来ます

後ろは河川敷の広場です

どうやらここに、昔、池があったそうです。新しい神宮を建てるための御用材は木曽の山から船で大湊に運ばれ、内宮用は五十鈴川を上り鹿海まで、外宮用は宮川を上り度会橋まで運ばれたということです。ここの貯木池に一時おいて、ここから外宮まではお木曳き車にのせて町中練り歩きながら納められたということです。ここから外宮まで、約2キロくらいだと思います。
                                        
平成25年の遷宮の際のお木曳きでは、度会橋をはさんだ上流側からスタートしましたので、材木も上流側に貯めておくところが作られていたと思われます。

さてここから宮川堤公園の遊歩道を数百メートルも下ったところで、さっそく桜の渡しの案内板を見つけることができました。ちょっと読みにくいのですが、ちょうど現在の宮川橋が架かっているところだったようです。


コンクリートのスロープがあって橋脚の下まで行けます。公園のはずれに位置して、今もなにやら船着き場になっているようですが、荒れていて基本的には立ち入り禁止のようです。ただ今後、桜の渡し跡も公園の一部として改修整備する計画があるようです。(さすがに橋の真下は危険だからこの近くということになるのでしょうが)


さらに下流に向かいますが、公園を出て一般道路になります。JRの架線の下をくぐると、やや川から離れますが、見晴らしのよい堤防の上の道を走ります。歩道がなくて少し危ない道だったのですが、去年、下に新しい道路ができて車の通行がかなり減りました。ここに大きな石碑があり、高向堤防完成と大正8年という文字が読み取れます。

宮川は暴れ川で治水にかなり苦労したということです。橋を架けられなかったのもそのせいです。この堤防もそうした宮川の氾濫を防ぐために大正時代に築かれたのでしょうか。ちょっと歴史を感じながらも道はまもなく二つに分かれて、堤防を下り、川に向かって伸びていきます。川の護岸と放置された自然林の茂みの合間を通る道で、普段は絶対に一人では行かない道ですが、今日は暖かくて人もぱらぱらと見かけるので、思い切って行ってみました。近鉄の高架線の下を抜けて、そのままラブリバー公園に続いていました。野鳥の声が響いて、のどかな道です。

ラブリバー公園に入ると探す間もなく「磯の渡し広場⇒」という看板が目にはいりました。
広場に着くと、高向社の御頭神事の関係者が禊をするという場所や、富士講遥拝所などがありました。神宮御膝元といえど、庚申講や富士講が今も息づいているのは何故なのでしょう。日本人には神仏習合も染み付いているし、無宗教といえども調子のよい神頼みの精神はどうなんでしょう。そういう私も間違いなくその精神で生きてきています。いずれよく考えてみます、でも今はいいや。

御頭神事の禊の場所


磯の渡し跡付近(豊浜大橋)

富士講遥拝所


さて磯の渡しは、色々位置を変えながら、豊浜大橋が完成した昭和27年まで、存在していたそうです。初めと話しが少し違うのですが、桜の渡しや柳の渡しが、遠くから伊勢詣でに来た人々が利用した、いわゆる伊勢街道の一部であったのに対して、こちらは地元の人々の生活道路の一部であったのかもしれません。

ここから宮川大橋の下まで行きました。この先堤防の上からは絶景が広がっているのに違いありませんが、久しぶりのジョギングに体力に自信がないため、折り返すことにしました。
まだ柳の渡しを見ていません。度会橋の上流に違いありませんので、そこまで行かなくてはなりません。ここまで、およそ3キロです。

度会橋東詰の駐車場で、宮川堤の案内板をチェックしました。浅間堤という言葉を発見しました。これについてはまた次回に書きたいと思います。
さて、今度はいつもの上流に向かって、河川敷近くを走ってみましたが、柳の渡しについては何も見つかりません。孫右衛門堤あたりであきらめてジョギング終了しました。腰をおろして川を眺めながら、ネットで調べるとなんと右岸には柳の渡しの跡は残されてないそうです。対岸の尾崎記念館の横に柳の渡しの案内板があるということでした。対岸には安全に走れる道はないので、(歩道のない場所ではジョギングしない主義です)、車で行ってみることにしました。
後で調べましたが、右岸の柳の渡し跡付近もやはり公園として整備していく計画があるようです。

対岸の尾崎記念館

右岸の柳の渡し跡付近(この辺のはず)

途中寄り道で、離宮院公園に行きました。寒緋桜が寒い季節に咲くときいたので、もしやと思って行きましたが、わかりませんでした。ここは斎王が神宮に赴くときに宿泊したという離宮院の跡地です。町の中にあるにもかかわらず、うす暗い、うっそうとした森があり、別世界のような趣があります。ここから桜の渡しは近く、斎王の一行は、川を渡れないときは離宮院にとどまり、よい日柄を選んで桜の渡しから川を渡り、神宮に赴いたのでしょう。また、一角に官舎神社という神社があります。

離宮院公園内の遺跡

ここは鳥居が白いのが印象的です。


狛犬が豪快で

なんかやさしい!



尾崎咢堂記念館 
というのが伊勢にあります。中に入ったことはありませんが、旧尾崎邸跡に建てられた白いしゃれた洋館です。度会橋の西詰から100メートル程で、宮川の左岸近くに建っています。ここの敷地内に柳の渡しの案内板があります。桜の渡しから数百メートルしか離れていないのですが、桜の渡し(下の渡し)は東海道から分岐した伊勢街道、柳の渡し(上の渡し)は上方からくる伊勢本街道や和歌山、熊野街道につづく渡しとして賑わい、筋向橋で二つの道筋は一つに合流して外宮に向かうというながれがわかりやすく書かれています。あいにく左岸の堤防の上は交通量が多くてしみじみと景色を眺めていることはできません。対岸ののどかな様子がなつかしい。

尾崎記念館にある柳の渡し案内板






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