たまたま目にした伊勢市のウォーキングコースにのっていました。
陵墓参考地とは宮内庁が皇族の陵墓と認めたもので、被葬者の特定ができていないものをいうそうです。宇治山田陵墓参考地の被葬者は倭姫と推定されているそうです。
倭姫といえば、天照大神の御杖代として諸国を回り、神託により伊勢に皇大神宮を創建したとされる人で、垂仁天皇の皇女、初代の斎宮と言われます。
場所はちょうど隠岡遺跡と日蓮の誓いの井戸の間くらいで、其の1 で書いたコースに付け足すべきところで、今まで素通りしていました。御幸道路から、古市の黒石という料亭に向かって上がって行く坂の左手にあります金刀比羅神社の参道の入り口に倭姫命御陵という石柱が建っています。内宮と外宮の中間で、間の山といわれた所で、尾上御陵とも呼ばれているようです。
倭姫命御陵は階段を少し上がると参拝をする小さなスペースがありますが、コンクリートと鉄の格子で閉ざされて中にはいることはできません。宮内庁とかいた立て札がありますが、文字が薄れていてよく読めません。木が茂っていてよくわかりませんが、左手に丸く地面が盛り上がっている所があるようです。せいぜい数メートルぐらいの大きさでしょうか、柵で囲まれている敷地にしても数十メートル四方くらいです。あの倭姫命宮に比べると、小さくて質素なのに驚きます。古墳時代よりも昔の時代ですから、大きな墓はつくらなかったのかもしれませんし、また、つくられた当初、どれほどの規模であったかは、わかりません。でも倭姫は初代の斎王ともいわれますので、神々に仕える身であり、倭姫自身を神として崇めることは、きっと当時は、なかったのだろうと想像しました。しかし2000年の時を超えて、その功績は今も語り継がれ、また生き続けていると思うと、まさに神のような不思議な力やおおらかさを感じてしまいます。
ここは常明寺跡でもあるということで、たしかに日蓮上人の誓いの井戸から、直線距離にしたら100メートルもないかもしれません。ということは、長い間、倭姫命御陵は常明寺敷地内にあったのでしょうか。神仏習合だからよかったのでしょうか。
さて参道をすすむと、金刀比羅神社の境内です。たくさんの木の鳥居がならんでいる中をくぐります。
こんなにたくさんの鳥居です |
横に芝生の広場が見えてきました |
本堂は素朴です |
横は芝生の広場でトキワマンサクの花が満開です。道路からすぐはいっただけなのに、静かで風情のある、すてきな所でした。
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