2016年4月17日日曜日

其の11 伊勢の桜桜桜

宮川堤の桜並木
宮川堤公園の右岸一帯の堤防上にソメイヨシノなどの桜が植えられ、桜の名所になっています。
さくら名所100選にも選ばれました。宮川の渡し船の着くあたりに桜を植えたのが始まりといわれ、桜の渡しと呼ばれるようになりました。最近は二千本あるそうです。   お伊勢さんテキストより

伊勢の桜の名所といえば、ここが有名です。シーズンになるとたくさんの人が訪れます。テキ屋さんの屋台もたくさん並び、ゴミなども落ちていてちょっと嫌だなと思った年もありますが、今年の心境としては、まあいいかな。屋台での買い食いを楽しみにやってくる人たちもたくさんいるし、それも日本の文化かな。また、今年はごみが少なくてきれいでした。宮川堤公園は広くて、突き出し堤などで起伏に富んでいるので、少し離れるとテキ屋さんの列も見えなくなり、静かに景観を楽しむこともできます。





お伊勢さんテキストにとりあげられている桜では、他に離宮院公園の寒緋桜、豊宮崎文庫跡地のお屋根桜、横輪町地域で育てている横輪桜があります。


離宮院公園の寒緋桜はたった1本しかないようです。2月から3月の寒い時期に咲きますが、梅林の中にあって、梅と見間違えてしまいます。下向きに咲く、珍しい桜です。






お屋根桜は市の指定天然記念物です。豊宮崎文庫創設のとき、創設者の家の屋根に生えた苗を移植したとも、外宮古殿の屋根に生えた桜とも言われているそうです。ヤマザクラの新種だそうです。  お伊勢さんテキストより  
年に数日、桜の季節、特別に旧豊宮崎文庫敷地が公開されます。今年初めて、行ってみました。無知な私は、豊宮崎文庫の屋根から桜が生えているのかと思っていましたが、建物は何も残っていません。外宮の森を背景にソメイヨシノとともに白い花を咲かせている数本のヤマザクラの古木を見ることができます。




横輪桜は横輪の地域のみに咲く桜です。そこは賑やかな市街地からは一線を画した、深い山々にかこまれた隠れ里です。壇ノ浦の戦いで敗れた平氏の落人の伝説があります。横輪桜は、150年程前、桂林寺の境内に咲いていた桜を村人たちが自宅に植えて増やしたものと言われています。ソメイヨシノより数日遅れて咲きます。ピンク色が濃い大きな花びらが特徴で、とてもきれいな花です。房のようになって咲くので、遠くから見ると八重桜のように見えます。横輪桜の美しさはその花ひとつひとつのみならず、山里のひなびた風景の中にあって、いっそう引き立つようです。








ここからは、今までに見聞きした桜の美しい場所を挙げてみたいと思います。

尾崎咢堂記念館 宮川堤公園の対岸にあります。歩道がありますので、宮川堤の桜を見に行ったついでに、度会橋を渡って歩いて行くことができます。尾崎咢堂といえば日本の議会政治の発展に尽力した政治家です。父親の仕事の都合で少年のころ伊勢に転居して数年間、豊宮崎文庫で英語の勉強をしていたそうです。記念館は尾崎邸跡に建てられました。また、尾崎咢堂は友好のしるしとして、アメリカのワシントンD.C.に桜の苗木四千本を贈った人でもあります。アメリカの桜並木はいまでも有名な名所になっているそうです。その関係か、記念館の庭にも桜の木が多く植えられています。目の前の桜、川のむこうの宮川堤の桜などを眺めていると、アメリカの桜並木にまで想像が膨らみます。


     

 



内宮周辺です。宇治橋周辺にも桜が植えられています。内宮の深い緑の森に桜の花が映えてとても美しかった記憶があります。また五十鈴川堤にもたくさんの桜が植えられています。3月31日の晦日寄せに行った時、すし久の2階でお茶をのみながらライトアップされた夜桜を見ました。おはらい町は夜間にはほとんど人通りがなくなりますので、非常に静かで神秘的な雰囲気でした。

海の蝶 二見池の浦にあるホテルです。もともと風光明美な素晴らしい景色が楽しめるホテルです。数年前、宿泊客でもないのに、ずうずうしく桜を見せてくださいとお願いしたら、ホテルのロビーから中庭に案内してくださいました。そこは高台になっていましたが、海岸まで、眼下に一面に満開の桜が広がっていました。息をのむほどの美しさでした。毎年、桜の季節になると、一度は宿泊したいと思いつつ、ついに実現せず今日にいたっています。ここのホテルの敷地内にも寒緋桜があるそうです。また機会があれば見に行きたいと思います。

宇治浦田駐車場。内宮の市営駐車場です。以前、伊勢の桜はどこがきれいですか、と聞かれて思わず市営駐車場と言ってしまったことがあります。本当にきれいなんです。駐車場の工事で随分切られてしまいましたが、また持ち直してきたようです。特にお勧めなのが、桜吹雪の季節です。アスファルトなので、地面に落ちた花びらは湿ることなく軽々と風に舞い上がります。運転していても見とれてしまわないように注意しなくてはなりません。

音無し山の桜 音無し山は夫婦岩のすぐそばです。サークルKの向かいに無料の音無し山駐車場があり、ここの駐車場から登ります。わずか120メートルほどの山で、15分位で展望台につきます。寄り道程度の距離ですが、鳥羽湾が一望できる、驚くほど素晴らしい景色をみることができます。途中に橋があり、東屋などもあります。私が行った時は、桜があるとは知りませんでした。やはり山の深い森に囲まれて、とてもきれいな花でした。散りかけのころで、花びらがはらはらと散っていたような気がします。最近は少し有名になったようなので、訪れる人も増えたのだと思います。

2016年4月12日火曜日

其の10 宇治山田陵墓参考地

宇治山田陵墓参考地というものを、全く知りませんでした。
たまたま目にした伊勢市のウォーキングコースにのっていました。

陵墓参考地とは宮内庁が皇族の陵墓と認めたもので、被葬者の特定ができていないものをいうそうです。宇治山田陵墓参考地の被葬者は倭姫と推定されているそうです。
倭姫といえば、天照大神の御杖代として諸国を回り、神託により伊勢に皇大神宮を創建したとされる人で、垂仁天皇の皇女、初代の斎宮と言われます。

場所はちょうど隠岡遺跡と日蓮の誓いの井戸の間くらいで、其の1 で書いたコースに付け足すべきところで、今まで素通りしていました。御幸道路から、古市の黒石という料亭に向かって上がって行く坂の左手にあります金刀比羅神社の参道の入り口に倭姫命御陵という石柱が建っています。内宮と外宮の中間で、間の山といわれた所で、尾上御陵とも呼ばれているようです。





倭姫命御陵は階段を少し上がると参拝をする小さなスペースがありますが、コンクリートと鉄の格子で閉ざされて中にはいることはできません。宮内庁とかいた立て札がありますが、文字が薄れていてよく読めません。木が茂っていてよくわかりませんが、左手に丸く地面が盛り上がっている所があるようです。せいぜい数メートルぐらいの大きさでしょうか、柵で囲まれている敷地にしても数十メートル四方くらいです。あの倭姫命宮に比べると、小さくて質素なのに驚きます。古墳時代よりも昔の時代ですから、大きな墓はつくらなかったのかもしれませんし、また、つくられた当初、どれほどの規模であったかは、わかりません。でも倭姫は初代の斎王ともいわれますので、神々に仕える身であり、倭姫自身を神として崇めることは、きっと当時は、なかったのだろうと想像しました。しかし2000年の時を超えて、その功績は今も語り継がれ、また生き続けていると思うと、まさに神のような不思議な力やおおらかさを感じてしまいます。


ここは常明寺跡でもあるということで、たしかに日蓮上人の誓いの井戸から、直線距離にしたら100メートルもないかもしれません。ということは、長い間、倭姫命御陵は常明寺敷地内にあったのでしょうか。神仏習合だからよかったのでしょうか。



さて参道をすすむと、金刀比羅神社の境内です。たくさんの木の鳥居がならんでいる中をくぐります。

こんなにたくさんの鳥居です


横に芝生の広場が見えてきました



本堂は素朴です



横は芝生の広場でトキワマンサクの花が満開です。道路からすぐはいっただけなのに、静かで風情のある、すてきな所でした。